大阪高等裁判所 昭和63年(ネ)1898号 判決 1991年9月24日
主文
一 本件各控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人日本赤十字社は、
(一) 控訴人大塚優子及び同林貴幸に対し、各金五七五〇万円及び内金五〇〇〇万円に対する昭和五一年七月二四日から、内金七五〇万円に対する昭和六三年七月一五日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 控訴人大塚晴弘、同大塚恵美子、同林曉及び林幸子に対し、各五七五万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五一年七月二四日から、内金七五万円に対する昭和六三年七月一五日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人社会福祉法人聖母会は、
(一) 控訴人竹谷強子に対し、金四〇二五万円及び内金三五〇〇万円に対する昭和五三年二月三日から、内金五二五万円に対する昭和六三年七月一五日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 控訴人竹谷正純及び同竹谷トキヨに対し、各五七五万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五三年二月三日から、内金七五万円に対する昭和六三年七月一五日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。
5 仮執行宣言
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり付加訂正するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
一 原判決の付加訂正
1 原判決一〇枚目表九行目末尾に「未熟児にはルーチンに酸素を投与するという考えに基づき、控訴人優子の症状に注意することなく、」を、同裏四行目冒頭に「当時既に永田医師により光凝固法の実施例が発表されていたので、未熟児を担当する医師としては未熟児網膜症の発症の有無、程度を知るべく眼底検査をする義務があったところ、」を、同一一行目の「入院中、」の次に「控訴人優子の両親である控訴人晴弘、同恵美子に対し、」を、同一二行目の「なく、」の次に「また、少なくとも退院時に本症発症の危険性を説明し、そのため眼底検査を受け、適期に治療を受けるべく説明する義務があったにもかかわらず、これを怠り、退院時における」を各加え、同一一枚目表一行目の「あった」を「、眼底検査の必要性については説明を受けなかった」に改める。
2 同一二枚目表九行目の「抵」を「低」に改め、同裏一一行目の「狐塚医師は、」の次に「未熟児の保温方法としてはタオル三枚で裸体を覆うことにより消費カロリーを約四割減じる等の種々の方法があるにもかかわらず、」を加える。
3 同一四枚目裏九行目の「同原告」の前に「しかも、狐塚医師は、遅くとも同月六日までには眼底検査を実施することが可能であると診断していたにもかかわらず、」を加える。
4 同一六枚目表二行目の「転医」の前に「既に光凝固法を実施していた兵庫県立こども病院等へ控訴人強子を」を、同三行目の冒頭に「これを懈怠して」を各加える。
5 同一八枚目表二行目の「あり、これによる」を「ある。とりわけ、控訴人優子は、英語の教師か通訳になることを希望していたが、全盲の場合には右職業への就職は困難であるために、やむなく神戸市立盲学校理療科へ進学した。しかし、理療科を卒業してもやはり全盲の場合には就職が困難である。また、控訴人強子も、現在兵庫県立淡路盲学校高等部保健理療科に在学しているが、自宅や学校外での行動に支障があり、将来希望する保母の資格をとることも困難であり、選択できる職業も極めて限られている。これらの事情を考慮すると、」を加える。
二 控訴人らの主張
1 光凝固法の有効性及び医療水準について
(一) 原判決は光凝固法の有効性に関し、「光凝固法についてはその作用機序及び有効性の証明がなく、Ⅱ型治療にも限界を示したままであり、また、長期予後に対する懸念が解消されていない反面、従前の治験例は本来自然治癒したもので、凝固の必要はなかったのではないかとの疑問も出されるなどして、ただこれ以外には治療はないところから、緊急避難的にのみ使用されるべきだとされる方向にある。」と判示した。右は、植村恭夫教授の「未熟児網膜症に対する光凝固法は緊急避難的治療法に止まるから激症型にのみ治療すべきである。」という光凝固法が奏効しないとの意見によっている。しかしながら、植村教授の右意見は、光凝固法による十分な治療経験を有することなく述べられたもので、データとしての科学性に問題があり、疑問である。
(二) 外国における治療水準
米国においてある水準的治療が行われ、あるいは、行われていないからといって、わが国の水準もそれと同じとは決していうことができない。また、米国で行われた術式で芳しい結果がでないからといって、その治療データを検討することなく、わが国の術式で本症に対する光凝固、冷凍凝固が奏効しないということもできない。特に、本症治療に関しては、昭和四二年永田医師が世界で最初に本症活動期病変に対する光凝固治療に成功して以来、多くの眼科医が本症治療に取り組んできた結果、本症活動期の治療診断技術の研究開発が急速に進み、わが国の本症治療の技術的理論的水準は、豊富な治験例と正確な臨床データ、優秀な技術を身につけた医師数などの点からいっても、欧米の追随を許さないほど高い水準に達していると言える。
米国において本症の原因が酸素の過剰投与であることが発見された一九五三年頃から一九六五年頃までは、米国における医療水準はわが国を凌いでいたが、酸素制限が行われるようになって急速に症例数が減少した一九五五年頃以降は、米国の眼科医界では本症治療に対する興味と関心が薄れていった。一九七〇年代に入り、新生児保育レベルは急速な進歩を遂げ、本症発生の高度のリスクを負った低出生体重児が増加し始め、高酸素療法ともあいまって、再び本症の激増する事態を迎えたが、米国眼科医学界の本症治療に対する興味関心は低く、多くの米国の眼科医は本症を積極的に治療できるということを考えもしなかった。
一九七四年頃になってようやくわが国の多数の治療成功報告が知られるに及び、米国でもキンガムらにより主として冷凍凝固が試みられたが、当初は本症に対する知見不足、技術不足のせいで芳しい成果をあげることができず、本症治療に対する悲観的見解が一部で出されたこともあった。
しかし、その後、わが国の本症の知見と技術が一層普及するに及んで、欧米においても前記のキンガムの手法が批判され始め、最近ではわが国と同一の基準で本症治療を行おうとする潮流が有力になりつつある。
(三) 米国における本症診断、治療の研究の歴史的経過
一九五一年、本症の発症原因が酸素の過剰投与であることが発見された後米国では酸素管理が厳密に行われるようになり、本症の患者も激減し、本症による失明数もその数を減じた。その結果、米国の眼科医界においては、本症に対する興味関心も薄れ、本症の発症、進行等の診断及び治療に関する研究はほとんどなされないまま推移した。
他方、新生児保育のレベルが向上し、従来は助からなかった子供たちも育てることができるようになり、本症に罹患しやすいリスクを有する未熟児数が増加し、極小未熟児に対する高酸素療法とあいまって、酸素無制限時代の復活とも思えるような本症発生数の増加の事態を迎えたが、その報告が米国内の個々の未熟児センターからなされる非組織的なものであったため、この失明の再度の激増とも言える事態が看過され、診断治療の研究も立ち遅れてしまった。
(四) 米国における本症治療の技術的水準
米国とわが国における本症治療に対する水準の差異は、前述のような経過に胚胎していることを十分踏まえるべきである。しかるに、原判決は「欧米においては光凝固法及び冷凍凝固法は、一部の研究者により実験的研究がなされている段階にある。」と判示したので、この点についてその実態を明らかにしておく。
(1) 米国のジェームズ・D・キンガムは、一九七一年から冷凍凝固治療を行い、その結果、外科的治療はほとんど適用にならないと報告した。しかし、右治療データによれば、患児は極めて生下体重が低く、在胎週数も短い、重症例と予想されるにもかかわらず、治療の時期はⅢ期の晩期にプラスディシーズが加わったものから網膜剥離の始まっているⅣ期と非常に遅れており、わが国では治療の時期としては遅すぎると何回となく文献に発表され、再三警告されていたのに、キンガムはこれを無視して独自の基準で施術したため、不満足な治療結果となった。さらに、キンガムには、手遅れになってから治療をしたことを一切捨象して前記の非科学的な報告をした誤りがある。
(2) ロバート・E・カリーナは、永田誠ら日本の文献を引いて「血管新生の破壊を目標とした光凝固法、冷凍凝固法が研究されているけれども、R・L・Fの増殖期病変に対して実証的な治療法は確立されていない。」などとしている。しかし永田誠は、「血管増殖部と無血管帯との境界線が主たる目標である。増殖した血管自体を凝固することは必要であるとは思われない。」と新生血管そのものを破壊することを目標としていないことも明言している。カリーナの引用は、わが国の文献をよく理解していないことを示している。右のような知見しか持たない者が本症に対する光凝固法や冷凍凝固法の正しい評価をなしうるはずがない。そして、右のような誤った評価が米国における光凝固治療の開拓を遅らせていたのである。
(3) バッツには、本症は予防できるし、予防すべきであって、治療に頼らないとの一九五五年頃確立された信念がある。そのような予防体制の存在する米国で、光凝固や冷凍凝固を用いるのに慎重な態度を取るのは自由である。しかし、バッツは、本症の先端を切り開いた自負心からか、東洋人であるわが国の学者の文献やユダヤ系のベン.シラなどの文献を文献欄から全く排除するという特殊な立場を取っている。
(4) ウィリアム・タスマンは、これまで瘢痕期の強膜バックリングしか行ってこなかった人であるが、最近に至って予防的冷凍凝固治療の成績を発表している。その治療時期はかなり遅れているが、その割にはかなり良い成績となっている。しかし、タスマンが始めからわが国の基準に もっと早めに治療を開始すれば、ずっと良い成績を得られたはずである。
(5) 米国において本症に対する外科的治療法として強膜バックリングがある。米国で行われている術式は、強膜外層を切開し、その中にシリコンの管を埋め込んで縫合し、これを強く結紮し、眼球を絞縛するもので、剥離網膜と脈絡膜を接近させる術式として開発されたものである。これらの手術が未熟児の眼球に対し、光凝固や冷凍凝固とは比べようもない重大な侵襲を加えていることは明らかである。永田医師らも、「米国において強膜バックリングという侵襲度の高い治療を行わなければならないのは、治療の時期が遅すぎるからだ。」と批判される。このように、強膜バックリングは活動期の本症を悪化させるだけさせておいて、全剥離に至らなかったものについて剥離した部分の眼球を内側にへこませて網膜と脈絡膜を接近させる治療にすぎない。したがって、活動期病変に対する病勢進行停止を目的とする光凝固や冷凍凝固とは全く趣旨が異なり、侵襲度も比較にならないほど強烈なものであり、また、全剥離には全く効果がないとの欠点を有する。
(6) 以上のように、米国における本症に対する眼科的治療法は、活動期における予防的治療技術の開発という点ではわが国と比べて極めて立ち遅れており、到底わが国の進んだ技術を云々できるレベルにはない。
(五) 最近の欧米の眼科学会における光凝固、冷凍凝固の積極的評価の高まり
最近の欧米の眼科学会では、前記のような治療消極論を排して、わが国の眼科界がとっている診断治療法を見習って、もっと積極的に活動期本症の予防治療を行うべきだとする主張が強まっており、一九八〇年以降イスラエルのI・ベン・シラ博士、カナダのN・W・ヒンドル博士、米国のハーベイ・トッピロウ博士らによって本症の治療法として冷凍凝固法等の有効性が高いことが報告されている。
2 光凝固法の確立について
(一) 原判決は、厚生省特別研究費補助金昭和四九年度研究班が昭和五〇年に発表した「未熟児網膜症の診断及び治療基準に関する研究」(以下「研究班報告」という。)において「一九六八年永田らにより光凝固法が未熟児網膜症に応用されるに至ってから、多くの研究者により光凝固、冷凍凝固に関する報告が見られるに至った。しかし、これらの報告を見ても、診断、治療面においてその基準に統一を欠く点があり、そのため社会的にも問題を起こすに至った。」と述べているところを取り上げ、昭和四九年頃においては研究者間でかなり区々の報告がなされていたかのような認定がなされているが、右は誤りである。
(二) 未熟児網膜症の診断、治療基準の確立
(1) Ⅰ型に対する診断治療基準
昭和四五年一一月頃から昭和四九年二月頃までの間に、光凝固治療を行う永田誠、大島健司、馬嶋昭生ら代表的な研究者によって診断基準は示されている。そして、これらの研究者のⅠ型の定義を対比すると、次のようになり、研究班報告と全く同一の基準に沿っていることは明らかであり、同年当時診断基準が客観化されていないとはいえない。
Ⅰ期とは、周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それにより周辺部は無血管領域で軽度の血管の迂曲怒張を認める時もあるが通常は変化はないことをいう。
Ⅱ期とは、無血管帯と網膜血管末梢部に灰白色の境界線が出現し、後極側の血管の迂曲怒張も認められることをいう。
Ⅲ期とは、堤防状に隆起した境界線から新生血管が増殖し、桃色ないし灰色の滲出も現れ、血管の迂曲怒張、硝子体出血も認められることをいう。
Ⅰ型ないしⅠ型に近い混合型に対する光凝固の実施時期、部位の考え方には、次の三つがある。
<1> 硝子体中の血管新生が検眼鏡的に明確に認められる直前(オーエンスⅡ期晩期、研究班報告Ⅲ期初期ないし中期)に境界線を中心に最小限度の光凝固を加えて早く寛解させた方がよいとするもの。
<2> 硝子体中の血管新生が検眼鏡的に著明となり、滲出物も増強してきたとき(オーエンスⅢ期初期、研究班報告Ⅲ期中期)に境界線の無血管側と無血管帯に散発凝固を加える。
<3> <2>よりもやや遅く、増殖性変化がより著明になった段階で(オーエンスⅢ期中期、研究班報告Ⅲ期中期ないし晩期)で境界線の両側と無血管帯に散発凝固を加える。
これらを最大公約数的に示すと、活動期Ⅲ期に入り進行がみられる場合に、境界線を中心に凝固を加えるということになり、研究班報告と同一になる。そして、<1>ないし<3>はいずれも合理性を有しており、いずれを選択するかは医師の裁量に委ねられている。なお、Ⅲ期を越えて進行する場合も光凝固すべきでないとの考え方は医学界で主張されたことはない。
(2) 混合型ないしⅡ型に対する診断治療の準則
昭和四六年から昭和四七年の間に永田と大島によって示された混合型ないしⅡ型に対する診断治療の基準は、「無血管領域が広く全周に及ぶ症例で、血管新生と滲出性変化が起こりはじめ、後極部血管の迂曲怒張が増強する傾向徴候がみえたら直ちに治療を行うべきである。凝固の方法は境界線に加え無血管帯への散発凝固を行う。」との研究班報告と全く同様である。
(3) 以上のとおり、Ⅰ型ないしこれに近い混合型については、昭和四七年頃までに発表された文献の上で光凝固法を実施していた医師の間で、裁量の範囲を超えて基本的差異があったとは到底考えられない。また、Ⅱ型ないしこれに近い混合型についても昭和四九年三月頃までの術者の治療内容に差異が存していたとは考えられず、光凝固法は研究班報告を待つまでもなく、確立していた。昭和四九年の研究班報告までは本症治療の専門家間において準拠すべき共通の土台がなかったとする被控訴人らの主張や原判決の認定は医療の実態や本症治療の歴史的事実を無視した独断というほかない。
3 説明義務について
医師法二三条は、「医師は診療したときは本人またはその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項を指導しなければならない。」と規定していることからすると、医師は治療義務のほかに患者に対し療養上必要な事項について適切な注意及び指導を行う義務がある。したがって、医師は、自ら当時の医療水準に適合した最善の処置をとることができない場合には、他のより優れた医師や病院を紹介するなど治療に関する情報を提供したり、転医を指示する義務がある。
また、医師は、患者に対し、医療水準の如何にかかわらず、緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき義務を負っているので、患者が自己の欲する医療を選択できるように必要な情報を説明すべき義務がある。
このように、説明義務は、患者が転医して治療を受けるかどうかを自己が判断し、決定する前提として必要な情報を提供する義 であり、有効な治療方法として確立しているかとは別個に考えなければならない。そして、光凝固法のように控訴人らの出生当時全国各地において治療法が実施され、医学論文にも症例報告がなされている場合には、医師としては患者にその情報を提供する義務がある。しかるに、本件控訴人らの担当医師は、光凝固法の存在することを控訴人らに説明することを怠ったものである。
4 精神的苦痛に対する新たな主張
控訴人らは、被控訴人らが前記3の説明義務を尽くしていたならば、光凝固法を実施していた医療機関に転医して光凝固法の治療を受ける機会を得られたはずであったが、被控訴人らが右義務を履行しなかったため、その機会を奪われた。控訴人らは、光凝固法を適期に受ける機会を奪われたことにより極めて大きな精神的苦痛を被った。
三 被控訴人らの主張
1 現時点における本症の原因論と発生防止の不可能性
(一) 現時点で到達した結論
最近の動脈血酸素分圧管理の下においても、本症は減少することなく、増加していることから、世界各国で本症の発生原因が再び検討され、外国の著名な学者を始め、わが国の本症研究者の多くは、次のような結論に達している。すなわち、本症は、多因子性疾患で、酸素が唯一の病因ではなく、未熟児出生に伴う危険因子が相互に関連して発生するものであり、しかも、ほとんど全ての因子は現在の未熟児医療上避けられないもので、出生した未熟児を生存させるためには不可欠な治療行為に関連するものである。本症は、未熟性を基礎としてその上に複雑な因子が関与して発生するものであるが、どの様な因子の組合せが本症の発生、進行の促進効果を持つかは現在のところ全く不明であり、本症の発症の予防は不可能とされている。したがって、医師の診療行為と本症罹患との因果関係を認めることはできない。
(二) 本症発症と酸素濃度、酸素投与量
従来、本症の発症は、過剰な酸素の投与によるものといわれてきた。しかし、近年になり、米国における酸素制限による本症発症の減少は、本症の危険の高かった新生児が低酸素症により死亡したためであって、酸素が本症の因子であったことを証明するものではないことに気付かれた。一方では、むしろ低酸素症が本症の原因であるとする説すら提唱されてきており、現在では、過剰酸素投与あるいは高濃度酸素を本症の原因とすることにも疑問が提起されている。
また、環境酸素濃度を高くしても未熟児の体内の動脈血酸素濃度が比例して高くなるわけではなく、環境酸素濃度と網膜の動脈血における酸素濃度が単純な相関関係にないことから、本症の発生は動脈血酸素分圧が関係するといわれるようになってきた。そこで、米国では一九七一年に、わが国では昭和五二年九月に未熟児に対する酸素療法の指針が示され、動脈血酸素分圧六〇mmHgないし八〇mmHgに保つことが望ましいとされた。
しかし、脳障害と本症の双方を防ぐ動脈血酸素分圧の安全域は、現在なお示されていないし、動脈血酸素分圧が本症の唯一の原因ではあり得ないとされている。また、仮に動脈血酸素分圧が本症の発生原因としても、安全値がわからず、酸素投与量を動脈血酸素分圧値に基づき制限できない以上、現時点でさえ動脈血酸素分圧の測定により本症発生を防止することは不可能である。
(三) 本症発生と酸素投与期間
従来、酸素の投与期間が本症の発生に関係し、長期間投与するほど本症の発生する率が高くなると主張されてきた。しかし、現時点においてもなお、本症発生の危険はどの位の期間で生ずるのかという持続時間の危険値は見出されていない。したがって、なお、酸素投与期間をどのくらいにすべきかの指標は示されていない。
(四) その他の発生原因
以上のとおり、いかなる基準で酸素を投与すべきかについて四〇年近く研究されてきたものの、現時点においても臨床レベルでは酸素の問題は未解決のまま残されており、未熟児に対する酸素投与は、当該児の一般状態とかチアノーゼあるいは未熟性の問題を総合判断し、個々の医師の裁量で決められているのが実態であり、完全確実な療法はまだ示されていない。その他、二酸化炭素、無呼吸、輸血、動脈管開存症、敗血症、脳室内出血、ビタミンE等種々の原因が従来より本症の原因として検討されてきたが、いずれも単一病因とは認められておらず、相互に複雑に関連して本症の原因となっていると考えられる。しかも、どのような因子の組合せが本症の発生、進行の促進効果を持つのかは全く解明されていない。
(五) 以上のとおり、本症の発生原因は解明されていないから、酸素を含む全身管理上の措置と本症罹患との因果関係を肯定することはできず医師に対し、発症責任を問うことはできない。また、未熟児の診療にあたる医師に対して、いかなる措置をとれば生命も脳も助け、本症の発生を防ぐことができるのか、全く知らされていない。本症は網膜の未熟性を基礎として発生する疾患であり、現在でも予防することができない。したがって、医師は結果回避義務を負っていない。さらに、現在までの間に過渡的に種々の発生原因が唱えられたが、現在の知見からするといずれも正しいものではなく、誤った原因との因果関係を求めて責任を負わせることはできないというべきである。
2 医療水準について
控訴人らは、当該疾患の専門的医療機関において実施され、同機関において転医を受け入れ、転医による治療が実施される段階に至れば、もはや、臨床医学の実践における医療水準に達したものというべきであると主張しているようであるが、右主張は誤りである。すなわち、医療は生体に対して医的侵襲を加えるものであるから、有効性、安全性、合理性の証明された治療法でなければ、軽々に人体に用いることは許されないし、法的義務として位置づけることは勿論できない筋合いである。
医療はあくまでも実践であり、法は診療当時の実践における医療水準に従った適切な措置を求めているものと解すべきであって、そもそも当該医師において医学的確信を持ちえないような新規治療法は、これを患者に紹介する義務はないというべきである。
新規治療法が臨床医学の実践における医療水準を形成するに至るまでには、<1>治験的実験の段階、<2>学問的水準の段階、<3>医療水準の段階を経るものである。したがって、仮に、当該医師がある疾患についての新規治療法の考案者であり、その有効性について確信を抱いていたとしても、未だ治験的段階に止まるものである。
ところで、本症に対する光凝固法及び冷凍凝固法は、本件当時(昭和四五年ないし昭和四九年)においては、未だ追試的実験段階にあって有効な治療法として確立されておらず、しかも、本症についての客観化、統一化された診断、治療基準すら存在していなく、加えて、光凝固法の最先端の専門的医療機関である天理よろづ相談所病院や名古屋市立大学付属病院においてさえ実験的研究段階にあったものであるから、本症の治療法として臨床医学の実践における医療水準に到達していなかったことは明らかと言うべきである。
天理病院の実態についてみるに、昭和四七年当時永田医師自身、他院から依頼された重症例に対しては診断治療のいずれの面からも適切に対応できない状況にあったものであり、昭和五〇年当時でさえ同病院眼科医局において診断そのものを適切に行いえない状況にあり、いわんや、昭和五六年当時でも永田医師でさえ必要な凝固の強さについて的確な判断ができない状況におかれていたというのが実態であった。
また、名古屋市立大学付属病院においては馬嶋教授(眼科)が小川教授(小児科)の意見をいれて昭和四七年からコントロール・スタディ(片眼凝固)を開始したにすぎない時期であった。
以上からすると、控訴人らの医療水準論は到底これを維持しうるものではないことは明白である。要するに、ある治療法が特定の専門医療機関で行われているということと、それが医療水準化しているかどうかということは全く別個の問題なのである。
3 Ⅱ型網膜症に対する光凝固法、冷凍凝固法の限界
(一) 控訴人らは、光凝固法はⅡ型及びこれに近い混合型についても研究班報告を待つまでもなく確立していたと主張するが、Ⅱ型に対する光凝固法は、昭和五〇年代後半に至っても、また、昭和六〇年代に入ってからも統一的な治療基準は示されていないのであって、なお研究段階(永田医師らのいうプロスペクティブ・スタディの実施中)にあり、失明例の報告が少なくないというのが実態である。
(二) Ⅱ型網膜症の権威者である森実秀子医師は、昭和五七年時点においてもⅡ型網膜症についての統一的な治療基準はいまだ存在しない、本症の病像は多様性であり、Ⅱ型網膜症そのものにもいろんなタイプがあると述べている。ちなみに、本症の先駆的医療機関である国立小児病院で昭和四六年から昭和五九年までの間に光凝固したⅡ型網膜症はその殆どが失明という結果に終わっているという事実は極めて重いというべきである。
(三) さらに、本症の先駆的研究者である山本節教授は、Ⅱ型網膜症の光凝固の部位、方法に関し、血管の発育の具合、程度によって焼く場合、時期、焼き加減とかがそれぞれ違うので、一概に線を引いてどのⅡ型はどの程度までというのはなかなか難しいと凝固の困難性を述べており、また、昭和六一年三月刊行の雑誌において、過去一〇年間のⅡ型本症の光凝固治療成績を発表しているが、八例中、一例死亡、二例完全失明、二例二度の光凝固、冷凍凝固とも効果なく、翌日硝子体手術施行(一例少し視力あり、一例経過観察中)、一例視力〇・〇二、〇・〇六の結果に終わった旨報告している。
(四) このように、先駆的医療機関の治療成績を見ても、Ⅱ型網膜症に対する光凝固法に限界のあることは明らかである。
4 精神的苦痛に対する新たな主張に対する反論
控訴人らの主張は、失明の結果とは無関係の、未確立の治療法を受ける機会の喪失による精神的苦痛を独立の法益として捉えたものであり、不法行為責任及び債務不履行責任における因果関係ないし損害の概念から逸脱した解釈であり、因果関係なくして責任を認めるものであるから誤りである。
なぜならば、精神的苦痛に対する損害賠償請求は、本来死亡又は失明という法益侵害に基づくものであり、治療機会の喪失そのものは債務不履行の内容を患者の立場から言い換えたにすぎないもので、これを別個独立の法益侵害とすることはできないものである。
第三 証拠(省略)
理由
一 当裁判所も、控訴人らの本訴請求をいずれも棄却すべきものと判断するが、その理由は次のとおり付加訂正するほかは原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。
1 原判決二一枚目裏四行目の「第五号証、」の次に「第七、八号証、」を加え、同五行目の「第二八号証」を「第二九号証」に改め、同行の「三九号証、」の次に「第四三号証、」を、同六行目の「第一〇三号証」の次に「第一〇五号証、第一一一号証、第一一三、一一四号証、第一一七ないし一二八号証、第一三一、一三二号証、第一三九ないし一四二号証、第一四四号証、」を、同七行目の末尾に「第一六〇号証、」を各加え、同八行目の「一六三号証」を「一六二号証」に改め、同行の「第一六八号証、」の次に「第一七六号証、」を、同行の「一八二号証、」の次に「第一九〇号証」を各加え、同行末尾から同九行目の「第二、三号証」を「第二ないし四号証」に改め、同行の「第三四」の次に「、三五」を、同行の「第三八」の次に「ないし四一」を、同行の「四六」の前に「四五、」を、同一〇行目の「第六八号証」の前に「第五一号証、第六一号証、第六四ないし」を、同行の「第七五」の次に「、七六」を各加え、同一一行目の「第八二、八三号証」を「第八二ないし八八号証、第九四号証」に改め、同一二行目の「五号証、」の次に「第一一二、一一三号証、第一一六号証、」を、同行の「第一一九号証、」の次に「第一二一、一二二号証、第一二五ないし一二七号証、第一三二号証、」を、同末行の「一七三」の前に「一七二、」を、同二二枚目表一行目の「第一九三号証、」の次に「第一九五号証、第一九八号証、第二〇九号証、」を、同行の「第二二六号証」の次に「第二三一、二三二号証」を、同二行目の「第二五〇号証、」の次に「第二五一号証、第二六七号証、」を各加える。
2 同二二枚目表一二行目末尾に「現在では、網膜血管の発達の未熟性が基盤となり、動脈血酸素分圧の絶対的相対的上昇によって発生すると考えられているが、その他の多くの因子も複雑に関係しているものと考えられている。本症は、」を、同裏七行目冒頭に「胎児の網膜血管は、胎生三か月頃までは無血管の状態にあり、胎生四か月頃から硝子体血管より網膜内に血管形成が始まり、胎生八か月頃には網膜鼻側の血管はその周辺まで発達しているが、この段階でも耳側では鋸歯状態にまで達していない。したがって、在胎週数の短い未熟児は、網膜前方が無血管状態にある。この」を各加える。
3 同二三枚目表七行目の「しかし、」の次に「昭和四六年頃から、本症についての病態についての研究が進み、慶応義塾大学の植村恭夫、天理よろづ相談所病院の永田誠、九州大学の大島健司、名古屋市立大学の馬嶋昭生らによってそれまでの分類に修正が加えられ、さらに、従来は知られていなかった急激に進行する激症型の存在も確認されるようになった。未熟児網膜症が社会的な関心を呼ぶようになったことから、本症についてのわが国の主だった研究者によって組織された厚生省特別研究費補助金昭和四九年度研究班(以下「厚生省研究班」という。)が、」を加え、同行目の「厚生省」から同八行目の「研究班が、」までを削除する。
4 同二三枚目裏二行目の「において」の次に「水晶体後部に線維組織が形成されて失明した極小未熟児の」を、同三行目の「やがて、」の次に「本症の原因として検討された多くの因子の中から酸素投与が関連するとの見解が生まれ、酸素投与と本症との関係についての研究が進められ、当初は低酸素説が有力であったが、」を、同五行目の「さらに」の前に「比較対照実験が行われた。」を、同六行目の「注目され、」の次に「本症発生予防のために酸素投与の管理を行うべきことが提唱された。」を各加え、同行の「オーエンス」から同七行目の「発表され、」までを削除し、同行の「三一年には」の次に「、米国小児科学会の胎児新生児委員会による」を各加える。
5 同二四枚目表八行目の「疾患ではない」の次に「、未熟児に対する酸素療法の普及に伴い増加している、本症の発生は酸素と関連を有し、酸素濃度を四〇パーセント以下にしても発生しうる」を加え、同裏一二行目の「との風潮があり」を削除し、同末行の「推奨されていた」を「研究者や一般臨床医の間で一応の治療の指針とされていた」に改める。
6 同二五枚目表四行目の「四六年」を「四五年」に改め、同八行目の「一部の」の次に「先駆的」を、同一二行目末尾に「そして、昭和四六年には右意見の提唱者らから未熟児に対する酸素投与につき次のような見解が発表された。<1>未熟児に対してルーチンに酸素投与することは避けるべきで、呼吸障害やチアノーゼがある場合にのみ酸素を与え、しかも必要最低限の量とすべきである。<2>未熟児に酸素を投与するときには、できれば動脈血を採取し、PaO2を測定しながら酸素濃度を決定すべきであろう。<3>動脈血のPaO2を測定しながら酸素の投与量を加減することは実際には難しいので、臨床的には全身的なチアノーゼをめやすにして酸素の投与量を決めることが行われている。ワーレー・ガードナーは、チアノーゼが消失するまで酸素濃度を高め、それから徐々に酸素濃度を下げ、軽くチアノーゼがあらわれるときの酸素濃度を調べ、その濃度の四分の一だけ高い濃度に維持する方法を勧めている。<4>酸素療養中は、保育器の中の酸素濃度を頻回に測定し、記録しておく。その後、昭和五〇年代になって経皮的に動脈血酸素分圧を測定することが可能になったが、その結果呼吸障害を有する未熟児の動脈血酸素分圧の変動は非常に大きく、間歇的な測定では真のPaO2を反映していないことが明らかにされた。なお現在に至るまでも、脳障害と本症の双方を防ぐためのPaO2の安全域は明らかにされていない。」を、同一二行目の次に行を改めて「このように、昭和四〇年代後半までに酸素投与に関して一般的指針となる統一した見解は存在しなかったが、酸素濃度を四〇パーセント以下に止め、投与期間が極端に長期にならないように注意しておけば、本症の発症は予防できるとの見解が一般的であった。このような状況の下で、日本小児科学会新生児委員会は、昭和五二年八月三一日、次のような『未熟児に対する酸素療法の指針』を答申した。<1>未熟児が低酸素血症の状態にある場合には酸素療法は不可欠であり、未熟児網膜症の第一原因が網膜の未熟性にあることは周知の事実であるが、未熟児に対する高濃度酸素の長期間持続投与が未熟児網膜症の発生頻度を高める要因であることも指摘されている。<2>しかし、未熟児網膜症の発生を警戒するあまり、酸素を必要とする未熟児に酸素投与を制限すると未熟児網膜症は減少するが、死亡率が高くなるばかりでなく、生存した場合でも脳性麻痺の発生頻度が高くなるから、未熟児に酸素の投与が必要な場合には適切な投与が重要であるが、投与する酸素が適切であるか否かを判断する完全な方法や基準はなく、患児のPaO2を測定してもどの値までが安全であるかは正確にはわかっていない。」を各加え、同末行の「昭和四三年」を「昭和四二年三月」に改め、同行の「永田医師が」の次に「わが国で初めて」を加える。
7 同二五枚目裏一行目の「報告し」を「同年秋の日本臨床眼科学会において報告し、これは昭和四三年四月雑誌『臨床眼科二二巻四号』に掲載され、」に、同四行目の「昭和四〇年代の終りにかけて」を「昭和四六年頃から」に、同一二行目の「山下由美子」を「山下由起子」に各改める。
8 同二六枚目表末行の「により、」の次に「実施時期が早すぎると過剰治療となり、実施時期を失すると効を奏しないので、」を、同裏一行目の「これらの」の次に「治療」を、同二行目の「ため、」の次に「眼球の発育が阻害されたり、合併症や晩発性の網膜剥離などの副作用を惹起しないかが問題とされ、」を各加える。
9 同二七枚目裏三行目の「厚生省」から同四行目の「特別研究班」までを「前記厚生省研究班」に改め、同五行目の末尾に「そして、これは、同年八月発行の雑誌『日本の眼科四六巻八号』に掲載された。」を、同九行目の「うえで、」の次に「主として耳側周辺に増殖性変化を起こし」を各加え、同一〇行目の「とる」を「とり、自然治癒傾向の強い」に改め、同行の「Ⅰ型と、」の次に「主として極小低体重児の未熟性の強い眼に起こり、」を加える。
10 同二八枚目表一行目の「光凝固」の前に「進行性の本症活動期病変に対して適切な時期に行われた」を、同三行目の「しながら、」の次に「自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみ選択的に治療を施行すべきであり、治療の不必要な病例にいきすぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であるとしたうえで、」を各加え、同五行目の「時期」から同六行目の「行い、」までを「血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いので治療の決断を早期に下さなければならず、無血管領域が広く全周に及ぶ症例では、」に改め、同七行目の「直ちに」の次に「治療を」を加える。
11 同二九枚目表一行目冒頭に「凝固を実施したにもかかわらず失明等の結果が生じるという」を、同行の「前記」の次に「副作用や」を各加え、同二行目の「自然治癒した」を「自然治癒する傾向の強いⅠ型についてなされた」に、同三、四行目の「出されるなどして、」を「出された。」に、同四行目の「ただ」を「また、Ⅱ型について、比較対照実験を経ていないことを理由にその有効性が客観的に証明されていないとの多数の報告もある。そして、乳幼児への光凝固は原則的に好ましいものではないが、未熟児網膜症による失明を免れるためには」に、同五行目の「方向にある」を「見解も有力である」に各改め、同九行目の「段階で、」の次に「凝固治療法が有効か否かを判定するには大きなコントロールスタディ(比較対照実験)が必要であると主張され、」を加える。
12 同二九枚目裏一行目の「第一一三号証、」の次に「第一一八号証、第一二三号証」を、同行の「第一四〇」の次に「ないし一四三」を各加え、同二行目の「第一四二号証、」を削除する。
13 同三一枚目表三行目の冒頭に「前記のように、酸素投与に関して一般的指針となる統一した見解は存在していなく、一般医療の現場では、次のように酸素投与が行われていた。」を加える。
14 同三五枚目表六行目の「ものの、」の次に「濃度が四〇パーセント以下であったので、」を加える。
15 同三六枚目表五行目冒頭から同八行目の「ところ、」までを「前記三の認定によれば、未熟児に対する眼底検査が本症の発生ないし進行の阻止要因として機能するのは、光凝固法が本症の有効な治療方法であり、未熟児とくに酸素投与の処置をとった児に対しては常に光凝固法の施術の開始を念頭において観察すべきことが、医療水準として定着している場合に、その適期を把握するに必要であるとされるものであるところ、」に改め、同裏八行目の「おいて」の次に「臨床医学上」を加え、同九行目の「要件」を「前提」に改める。
16 同三九枚目表一〇行目と一一行目との間に「同日午前九時五五分及び同月二〇日午前四時一五分無呼吸、全身チアノーゼを示したので、蘇生器を使用」を加える。
17 同四〇枚目表一行目と二行目との間に「同月二七日、二九日、三〇日、同年五月一日、三日、七日に各二リットル」を、同五行目と六行目との間に「同月九日、一〇日各二リットル」を各加える。
18 同四六枚目裏八行目の「証言、」の次に「当審証人開発澄子の証言、」を加える。
19 同四七枚目裏五行目の「酸素濃度は、」の次に「まず二九パーセントから始められ、」を加える。
20 同四九枚目表七行目の「意識して」の次に「小児科と眼科とが連携する体制をとり」を、同八行目の「光凝固」の次に「法」を各加える。
21 同五〇枚目裏六行目の「いなかったこと」の次に「、治療基準について一応の統一的な指針が得られたのは厚生省研究班の報告が公表された昭和五〇年八月以降であること」を、同七行目の「あるから、」の次に「姫路日赤が未熟児網膜症を意識し、未熟児に対する眼底検査及び疑わしい場合の転医を行っていたとしても、」を各加え、同九行目の「を法的義務として強制する」を「が法的義務として確立されていたものとする」に改める。
22 控訴人らの補充主張に対する判断
控訴人らは、光凝固法が有効な治療法として確立していないとしても、被控訴人らは、患者に自己決定権の前提となる情報を提供するために光凝固法による治療法が存在することを説明する義務があるにもかかわらず、右義務を履行しなかったために、控訴人らは光凝固法の治療を受ける機会を奪われ、大きな精神的苦痛を被ったと主張する。
しかしながら、控訴人ら主張の右自己決定権の侵害なるものは、そのことによって当然に身体、生命に対する被害結果が発生するものではなく(本件に即していえば、控訴人らが光凝固法による治療の選択の機会を失ったということになろうが、さりとて、光凝固法を施術すれば一〇〇パーセント失明の結果を防ぎえたものではないことは、先に説示したところから明らかである。)、これによって控訴人らが被る不利益は被害結果の発生を阻止しえたかも知れない期待権の満足が得られなかったということに帰するものと考えられ、結局のところ、患者側の被害の客体(控訴人らはそれを被害法益と唱えるもの)は、右満足感が損なわれた(悔いを残した)という抽象的な不快感情に他ならないものと言いうる。確かに、本件の場合、控訴人ら患者側においてそうした被害感情を強固に持つであろうことは了解に難くないところであるが、その被害の発生を防止する(悔いを残させない)ためには、実践医療に携わる一般の医師に医療水準を超えた説明義務を課さなければならないことになれば、既に説示した説明義務の内容として、これを一般医療水準の範囲に限定したものを、再びその限定を取り払って無限定なものにすることに他ならない。そうだとすると、そのように患者側の抽象的期待感情の満足を図らんがために、一般医療水準を超えたところに医療側の義務を拡張してまで、これを法的保護の範囲に取り込んでいくことは、衡平の観念に照らし、また、先に説示した医療水準を基準にして注意義務の有無について判断するという基本原則からも大きく逸脱することになり、たやすく容認できない。結局、控訴人ら主張のような自己決定権が阻害されたことに基づく抽象的被害感情の補填を求めることは法的保護の限度を超えるものとして患者側においてはこれを受忍すべきものと考えざるをえない。したがって控訴人らの主張は採用できない。
二 よって、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。